どうなる修験道!?

諸道具を作る職人が消えつつあります。

どうなる修験道!?

少子高齢化の波は修験道にも押し寄せています。

写真は箒扇と呼ばれるもので、修験者が腰に差すものです。役行者を加護した孔雀のシンボルとして、魔を払う重要な法具でしたが、今は作る職人がおらず手に入らなくなりました。

二枚目の写真の斑蓋と呼ばれる笠も同様で、ほとんど生産されていません。修験の儀礼を支えていた諸道具は消えようとしています。密教化した修験道はこうした現状に無頓着です。他の道具で代用が効くのでしょう。無くても困らないようです。私としては、こうした現状は物凄くモチベーションが下がります。修験道の未来を憂い、めげてしまいます。

私は簡単な道具などは自分で作ってしまいます。その代表格は日常の加持祈祷で使う散杖です。梅の枝を水に1カ月程漬け樹皮を取り除き、一年程乾燥させて、割れが生じなかった枝を選び紙やすりで磨き上げて行きます。そして刻印を施し、開眼して完成です。50本中、十数本しか取れません。こうして一年以上をかけて出来上ります。こだわりや宿っているためでしょうか。強い霊力を感じます。

神祇(神道)儀礼で使う陰陽の祓幣も自作します。象徴的に陰陽の世界観で構成されており、作法中に重要な役割を担います。寸法や材料は勿論、作り方に秘密の決りがあり、自分で作るしかありません。その他、様々な御幣やお札、時には特殊な袈裟など、自作する物は数えきれません。

しかし、さすがに作れない物もあります。写真は山伏が背負う笈です。昔は手作りする行者もいたでしょうが、このような伝統工芸品は私の手には負えません。幸い山形には、仏腕のいい壇職人が健在です。この笈は昨年秋に叙勲を受けた職人に託しました。発注から十日足らずで仕上げてくれました。それも大安吉日に合わせて納入して頂きました。全てにこだわった職人技に脱帽しました。
今、時代の狭間で多くの文化が消えつつあります。修験道も例外ではなく、存亡の危機に立たされています。職人の心意気に負けないよう、我々行者も日々精進して行かねばと改めて思います。