空腹という修行

生身の肉体をもつ故に生じる浴や迷いを味わいます。

甑嶽峰中修行2018~(15)

修行も半ばを過ぎると、会話に登る話題は食べ物の事。たかが一日半くらいの断食ですが、人間は空腹には敵いません。肉体がある限り、食欲には勝てない事を充分に知る事となります。そうした頃合いにキュウリとコーヒーの差し入れがあります。行者たちは世界一美味しい食べ物を口にします。

おのれの弱さ、そして食べ物の有りがたさを味わう絶好の機会となるのです。これが餓鬼界の修行なのです。しかし、修行に一度や二度参加するくらいでは、その刹那の意味がなかなか解りません。一瞬の気付きを蓄積する事によって、ようやく修行の意味が見えてくるのです。

睡眠不足や空腹で疲労困憊の状態となりますが、そうした中でも意識の持ち方をコントロールする事で、物事が深く、そして広く見渡せるようになります。これは、修行に関わらず日常生活の中でも同じ事です。悩み、悲しみ、そして怒りの感情を抑制する事で、おのれの立ち位置が分かるものです。