令和元年甑嶽峰中修行4(5月24日④)

令和元年甑嶽峰中修行4(5月24日④)

甑岳の頂上へ至るには十の坂道を越えなければなりません。剣を山として、それに絡まる倶利伽羅龍王の様なイメージです。我々はその倶利伽羅の背を這って天と地の狭間へ向かうことになります。詳細な説明はいたしませんが、頂上への道中に、地獄から仏へ至る十の世界を観念的に辿る申渡しや儀礼が散りばめられています。

私は幼少期からこの山に登っています。ある時、突如、濃霧が出現し、木の香りを放つ社が立つ広場に導かれた亊があります。勿論そんな場所は存在しないのです。白昼夢であったのでしょうか、余りにもリアルで不思議な体験でした。帰って祖母に話した処、「そこにはロウソクを置いてくるんだよ」と言われ、そうしに行った記憶があります。その時は社はなく、濃霧の中に大きな石の燈籠が立っていました。そこにロウソクを捧げて帰ってきたのですが、そんな場所も実際には存在しないのです。また、ある時は、山道に突然とてもいい香りの線香が漂う事もありました。何かの山の植物の香りだったかもしれません。でも、勘違いでないと、確かに言える亊は、何かがいて、いつも見つめられているという事です。甑岳はそんな所なのです。

かつて私は、山頂まで駆け足で一時間半くらいで登ったものです。今はその倍の三時間をかけても登れません。登拝では、とにかく汗をかきます。二リットルの水でも足りません。下った後でも水はいくらでも飲めます。二泊三日の修行中、トイレにいったのは今年は僅か二回だでした。体内の水分は間違いなく完全に入れ替わると思います。修行後は体調は一変してよくなります。

お山はいい。しかし来なくては分からない。文章に書いて理解できるものではありません。と言いながら、つい、こうした陳腐な文章で発信してしまう。難しい亊は抜きにして、山伏にとって、お山は楽しい遊園地なのです。