令和元年甑嶽峰中修行6(5月24日⑥)

令和元年甑嶽峰中修行6(5月24日⑥)

山頂から下る安堵感。登り終えた解放感からでしょう、色々と気付く亊があります。登りの際は足元を見つめ、意識は山頂へ向けられます。下りの時は視界も意識も拡張します。こんな所を通ったのか、登っていた背後はこんな風景だったんだ。そんな感動があります。同じ登山道なのに、登りと下りでは風景が全く違う事に驚かされます。

自然と自分の人生と重ねてみたりします。かつての失敗や口惜しさ、その原因が良く分かる一方、もはやどうにでも良いと思えてくるのです。毎年こうして人生の荷物を捨てています。

途中、お滝を頂く櫓を組み湧水を落とした清水権現でお滝を頂きます。この滝場を作るのに三年かかりました。滝場へいたる山道も自分で切り開きました。雪解けとともに、鋸や鉈、スコップや鋤を担いで、ドロドロになるまで道を切り開きました。その期間、毎年、峰行直前まで病院通いでした。今は私が養生する事はなくなりましたが、ナラ枯れや松くい虫の被害が目立ち、山の手当が急務となっています。

百パーセント、ミネラルウォーターの滝は冷たいです。水量はチョロチョロに見えますが、落差のためかか受けるとかなり重いです。甑岳の雪解けの伏流水が数十年かけて吹き出している、いわば山の血脉です。楽に頂く時もあれば、辛く痛い時もあります。同じ滝なのに、いつも違う不思議さを感じます。

日没の光の中、行者がお滝を頂く姿は美しい。皆が冷たくて何も考えられないと言いますが、それも楽しみの一つです。疲労の中、全身に浴びる冷水で、己が囚われている肉体を清めます。